{{detailCtrl.mainImageIndex + 1}}/1

瀬戸夏子『現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017』(書肆子午線)

2,970円

送料についてはこちら

SOLD OUT

歌人・瀬戸夏子の真摯で豊穣な言葉は今日も世界と交差してゆく。同人誌「町」「率」や機関誌「早稲田短歌」に発表された、穂村弘、荻原裕幸、永井祐など、「ニューウェーブ」、「ポストニューウェーブ」の歌人たちを論じた評論から、フェミニズムの視点から批評を展開し、議論を呼んだ歌壇時評、著者へのロングインタビュー、日記や詩集、小説作品、ネットプリントで配布された個人誌まで、その目を見張る多彩な活動の記録をここに集積する。 【目次】 すべてが可能なわたしの家で──まえがきのかわりに Ⅰ エッセイ ジ・アナトミー・オブ・オブ・デニーズ 音たてて銀貨こぼれるごとく見ゆつぎつぎ水からあがる人たち/小島なお 「テーブル拭いてテーブルで寝る」(雪舟えま)のは? 〈有無〉、〈無無〉、〈有有〉 土星のリング 思い出ステーション 旅嫌いには、旅は心中にみえる 東京2020にも君が代ならば君のかかとの桃色がいいさ 瀬戸夏子を殺すいくつかの方法 キャラクターだから支流も本流も(石田柊馬) 悪い夏の、アナイス・ニン Ⅱ 評論 穂村弘という短歌史 私は見えない私はいない/美しい日本の(助詞の)ゆがみ(をこえて) 「手紙魔まみ、イッツ・ア・スモー・ワールド」、あるいはふたたび書き換えられた『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の結末について 自選歌五首への批評 「愛」について語るときに「私」が語ること (ああ、…………よ、君死にたまふことなかれ、――歌は刃を握らせて、母を殺せとをしへしや、…………?) 巻頭言(『率』七号特集〈前衛短歌〉再考) 以後のきらめき ─ 荻原裕幸論 序―我妻俊樹誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』について 中井英夫・中城ふみ子往復書簡について 「率」三号フリーペーパーにおける「東西短歌会特集」に関する前書き 反=Lovers change fighters, cool ― 高柳蕗子『短歌の酵母』 ヒエラルキーが存在するなら/としても man&poet 斉藤斎藤一首評 渡辺松男一首評 『京大短歌』十七号作品評 彼らと彼と彼らについて ─ 『クズとブスとゲス』映画評 輝きの代価さえも美しいのなら、あなたたちは処刑に値するのかもしれない ─ 小林エリカ著『彼女は鏡の中を覗きこむ』書評 Ⅲ インタビュー、日記、その他 瀬戸夏子ロングインタビュー わたしをつくった10冊 ほとんど真夜中に書いた日記 20170507 Ⅳ 歌壇時評 第一回 このまずしいところから、遅れてやってきて 第二回 「死ね、オフィーリア、死ね(前)」  第三回 「死ね、オフィーリア、死ね(中)」  第四回 「死ね、オフィーリア、死ね(後)」  第五回 「人間」にとって「アイディア」とは何か 第六回 「わからない」というレッテルを剝がしてから Ⅴ 作品 満月まで十五秒の階段にて 約束したばかりの第一歌集と星と菫のために わたしよりもアンネ・フランク(愛の処刑) あとがき 前書きなど この本をまとめるにあたって、たまっていた自分の文章を読みかえすことになったが、もちろん年月の経過による巧拙の差などはあれど、うんざりするほどひとつのことしか言っていないように思えた。それは、わたしはつねにクリストファー・ロビンを愛するが、現実のクリストファー・ロビンを知りたいという欲望に打ち勝つことはできず、結局のところ、そのふたりのあわいにあるものについて永遠に語りつづけていたい、という欲望である。その欲望とは一見関係のなさそうにとらえられるかもしれない文章にさえ、その欲望ははっきりと宿ってしまっている。(「あとがき」より) 【著者プロフィール】 瀬戸夏子 (セトナツコ) (著/文) 1985年生まれ。2005年の春より作歌を始め、同年夏、早稲田短歌会に入会。その後2009年の創刊から2011年の解散まで同人誌「町」に参加し、現在「率」同人。著作に第一歌集『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版、2012年)、第二歌集『かわいい海とかわいくない海end.』(書肆侃侃房、2016年)。

セール中のアイテム