{{detailCtrl.mainImageIndex + 1}}/1

周司あきら『エトセトラ VOL.10』( エトセトラブックス)

残り1点

1,540円

送料についてはこちら

特集:男性学 性差別はびこるこの社会では、実は「男」のことすら誰も考えていない。 語られてこなかった男性の多様さはどこにある?  これまでフェミニズムが家父長制に相対するとき、特権を持つ側として「男性」が照射されてきた。しかし、男性がフェミニズムに応答するだけでは、男性自身の課題を掘り下げられないのでは……? フェミマガジン10号目は、『トランス男性によるトランスジェンダー男性学』の周司あきらを特集編集に迎え、「特権」「加害性」「生きづらさ」で終わらない、その一歩先にある「男性性」を見つける特集号。 論考、エッセイ、読者投稿などで構成。新たなメンズリブを目指す座談会も! 目次 特集:男性学 特集のはじめに 【年表】 男性史・女性史(作成:周司あきら) 【エッセイ・論考】 マルリナ「ラップに耳をすませば」 麦倉哲「『男らしさの崩壊』の先にみる絶望とかすかな希望」 五月あかり「誰も好きになってはならない」 小埜功貴「自分を終わらせて、自分へと生まれ戻ろう――場としてのメンズリブ、心としてのメンズリブ」 瀬戸マサキ「『俺』を取り戻す旅」 仲芦達矢「ノイジー・マスキュリニティ」 Y・N「傷と言葉――仲芦達矢『ノイジー・マスキュリニティ』のための補足」 澁谷知美「男にとって『恥』とは何か――仮性包茎の現代史から」 森山至貴「異物のように、宝物のように」 水上文「そして誰が排除されるのか?――百合ジャンルにおけるミサンドリーの問題」 福永玄弥「男たちの帝国と東アジア」 遠山日出也「男性が特権/差別を克服するために――被抑圧者の解放と自らの解放との結びつきを捉える」 【小説】 勝又栄政「父(ちち)と、娘/息子(こ)」 【漫画】 中村一般「山田さんの生活」 【座談会】 水野阿修羅✕小埜功貴✕周司あきら「男である自分を好きになる――90年代日本のメンズリブ運動」 【読者アンケート】 男として生きること、男扱いされることの喜びを考えてみる 特集のおわりに ***************** 【寄稿】 もちづきゆきえ「『HEAR. ME. OUT.』制作日誌」 伊藤春奈(花束書房)「独立運動から続く道をたどって~おしゃべりソウル旅行記~」 【漫画】 とれたてクラブ「目ざせ!! 𝑫𝑰𝑽𝑨に殺されない元カレ」 【連載】 「編集長フェミ日記」2023年8月~9月 「祖母の話」/#2 川﨑那恵「ムラの女たちのあいだで」 「アート・アクティヴィズム」北原恵/〈98〉「関東大震災100年を記憶する現代アート:2023夏、韓国」 「LAST TIME WE MET 彼女たちが見ていた風景」宇壽山貴久子 私のフェミアイテム:下山田志帆 NOW THIS ACTIVIST :山田亜紀子 etc. bookshop通信 前書きなど  特集のはじめに  周司あきら  なぜ『エトセトラ』で男性学を、と疑問を抱く人もいるかもしれない。まだ伝えられていない女性の声、フェミニストの声はたくさんある。男性がする話や男性にまつわる話はもうお腹いっぱいだと感じるのではないか。  といっても、日本の男性学は女性学やフェミニズムの流れから生まれ出たようなものであり、これまでもフェミニズムの冊子で「男性学」や「男らしさ」特集が組まれることはあった。日本女性学研究会の1989年9月例会では、討論会「男はフェミニストになれるか?」が開かれ、メンズリブや男性学に繋がるきっかけの一つにもなった。ジェンダーの話をする際に、男性学が「末っ子長男」のように甘やかされている節も否定できない。男性が男自身と向き合う必要性に迫られた背景は、一つには高度経済成長期の第二次産業メインの構造が崩れ、男の力仕事に頼らなくても済む第三次産業に移り変わって男たちが危機感を募らせたからであり、二つにはウーマンリブなど第二波フェミニズムの波を男たちも受けたからだと説明されうる。ここまでが、歴史的経緯の話。  内輪話をすると、編集部の皆さんはフェミニズムを社会運動として捉えていて、性(だけに限らない)差別を解消するには男の問題を看過できないのは当たり前だと考え、このテーマでの特集が実現したのではないかと私は受け止めている。フェミニズムを「女をエンパワメントするもの」とだけ捉えていたら、男の出る幕はなかっただろう。  さらに、私には少し異なる背景もある。性別移行を経験して、「女」「トランスジェンダー」「男」というカテゴリーがバラバラに、時に重なり合って自分にあてがわれたとき、違和感があったからだ。この世界にはあいかわらず同じ問題が残り続けているのに、自分の置かれている立場によって、同一のものが全然違った光景で立ち現れることに驚いた。だからこそ一本に串刺しにして語る必要性を感じた。  他方、戸惑いも覚えた。私はずいぶん生きやすくなってしまった。男であることが自分にとって楽だと感じるし、それだけでなく愛している。すると、フェミニズムへの向き合い方もわからなくなってきた。私が以前よりフェミニズム的な試みを客観視して語れるようになったとしたら、それは直接的な抑圧体験から距離を取れるようになったからに過ぎないのではないかと。こうしてマジョリティ性を問い直すことの多い男性学と、表面上の課題は重なってきた。  ただし、男性学や個々の男性に対して馴染みがたい思いもある。その一つは、「女性」について語られるとき、残念ながらその対象が極めて狭いことだ。既存の男社会で活躍しているように映る上層の女性か、あるいは男性自身と似た境遇の女性しか視野に入らない。男性の比較として持ち出されがちな「女性」に対してさえこうだから、単に女性でもなく男性でもない者たちは、なおさら存在しないことにされる。「フェミニズム」に対する男性たちの反応もおおよそ似たようなものだ。ぜひ特集外の記事もあわせて読んでほしい。  日常には性差別が蔓延っている。だから秩序に従って従順に生きていこうとすれば、皆、必然的にセクシストになる。そこでは誰も男以外の性別についてまともに考えてくれないが、しかし男のことすら誰も考えていないのだ。やるべきことは、山積みだ。    2023年10月 著者プロフィール 周司あきら (シュウジ アキラ) (特集編集) 主夫、作家。著書に『トランス男性による トランスジェンダー男性学』(大月書店)、共著に『埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡』(明石書店)『トランスジェンダー入門』(集英社新書)がある。「すばる」(2023年8月号)に、随想「家父長の城」を寄稿。 上記内容は本書刊行時のものです。

セール中のアイテム