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尾竹紅吉(富本一枝)『新しい女は瞬間である 尾竹紅吉/富本一枝著作集』(皓星社)

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2,970円

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大正時代、フェミニズムを説き、アートを説き、女であることを諦めなかった一人の芸術家がいた。 生前に一冊の著書もなく、これまで埋もれてきた「新しい女」初の著作集。 尾竹紅吉(本名・富本一枝)は、1912年青鞜社に入社、雑誌『青鞜』へ表紙絵、詩、随筆を寄稿し、大正時代の開始とともに積極的に活動をはじめた文筆家です。また、12回巽画会展覧会に入賞するなど、その基盤には画家としての素養が深く根付いていました。しかし、女を愛し、バーや遊郭を取材するなど、その自由奔放なふるまいから「新しい女」として世間のバッシングを受け、『青鞜』をわずか9ヶ月で去らざるを得ませんでした。 彼女はその後、自らの絵で得た資金を元手に雑誌『番紅花(さふらん)』を起こしますが、結婚・育児に忙殺される中で自身の執筆より社会や女性運動の支援に回っていくようになります。 それゆえ、研究対象として光を浴びる機会が少なく、優れた文章を多く残しながらも著書は没後に刊行された童話のみでした。 尾竹生誕130周年の今年、時代を先駆け、美術と言葉の領域を力強くとびこえてみせた思考を、詩・小説・エッセイなどその多彩な作品を通して追います。 女性と男性に分けられない性の悩み、 メディアの炎上に焼かれる悔しさ、 田舎で創造的に暮らすこと、 家庭労働のために十分に自分の仕事ができない葛藤、 自分を差し置いて仲間に手を差し伸べること、 そして戦争への流れを止めることができなかったこと……。 一枝が向き合い、苦しんだものごとは、同時代の人々に比べても時代を先駆けていた。 そのことが、彼女を過去よりも現在に近い存在として引き寄せる。(解説より) 【目次】 はじめに 第Ⅰ部 創作(詩・小説・童話) 第Ⅱ部 随筆(自身のこと・思い出) 第Ⅲ部 評論(他者・社会のこと) 第Ⅳ部 インタビュー 解説 祖母のこと 海藤隆吉 今日の芸術家としての尾竹紅吉/富本一枝 足立 元 年譜/著作年譜 【著者、編者プロフィール】 尾竹紅吉,富本一枝 (オタケ ベニヨシ,トミモト カズエ) (著/文) 1893年4月20日、富山市に日本画家・尾竹越堂の長女として生まれる。戸籍名は一枝。叔父の尾竹竹坡・尾竹国観も日本画家。東京、大阪で育ち、女子美術学校中退、1912年18歳で雑誌『青鞜』に参加。自ら付けた紅吉(べによし)の筆名で表紙絵を描き、詩や文章を発表したが、『青鞜』の二大スキャンダルとされる「五色の酒事件」及び「吉原登楼事件」の当事者となり“新しい女”として世間の非難を浴びたため、9ヶ月で青鞜社を去った。1914年20歳で月刊誌『番紅花(サフラン)』を神近市子、松井須磨子らと創刊するも、陶芸家の富本憲吉との結婚により6号で終刊。15年より夫と奈良県安堵村(現・安堵町)で暮らし、26年一家で上京。46年を境に夫と別居。47年中村汀女を援けて句誌『風花』を創刊、48年には長女の陽とともに児童図書出版の山の木書店を創立した。結婚後も『中央公論』『女人芸術』を始め各誌に文章を寄せ、晩年は雑誌『暮しの手帖』に童話を発表するなど、最晩年まで文筆活動を続けた。1966年9月22日没。次女の陶はピアニストで桐朋学園大学教授、長男の壮吉は映画監督になる。 足立元 (アダチ ゲン) (編集) 1977年東京都生まれ。日本近現代の美術史・視覚社会史を研究。 東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、同大学大学院美術研究科博士後期課程修了。 現在、二松學舎大学文学部国文学科准教授。 著書に『アナキズム美術史 日本の前衛芸術と社会思想』(平凡社、2023年〔『前衛の遺伝子 アナキズムから戦後美術へ』(ブリュッケ、2012年)の増補新版〕)、『裏切られた美術 表現者たちの転向と挫折 1910-1960』(ブリュッケ、2019年)。

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